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それでも、シンプルで上質な暮らし

アラサー、独身、彼氏なし。しかもADHD。

about me part1

はじめまして。たまごです。

 

少し私について紹介させていただきます。

 

たまごは1985年に関東の北の北で生まれました。

それから大学進学まで父母姉に囲まれてすくすくと育ちました。

 

幼い頃のたまごは、片付けが苦手で、母からは「なんとだらしない!」と注意されながら、それを「そんなことないさー」と受け流していました。

脚には青あざが絶えずあり、「どこでぶつけたんだっけなー」と忘れているような子でした。

 

道路のアスファルトを固めているコールタールを座り込んで眺めて、スカートをダメにしてしまったこと。

上着が後ろで一回転ねじれていたこと。

私が持ち帰るプリントはいつも端が合っていなかったこと。

などなどはよく母に言われていたものです。

 

勉強は得意な方でしたが、授業はどちらかというと上の空で聞いており、

中学校の最初の頃にはbe動詞もわからない!と母を呆れさせていました。

初めての内容は聞いていないからできないけれど、自分で短時間で習得する術はもっていました。

 

この性質は高校まで続き、ひどい時には「これは寝る授業」と決め込んで寝ていました。とにかく眠かったのです。

国語はルールを覚えるもの(センター)、社会はひたすら覚えるもの、数学はひらめきを待つもの…勉強の内容はそんなふうに自分の中で決めて、教科書と参考書さえあれば受験で戦える、と信じ切っていました。

一方で、その勉強法は効率のいいものではありませんでした。

志望大の二次試験を前に、英作文を教わりにいった際、英語の先生に、「来るのが遅い!」「文法めちゃくちゃ!」と言われながらも、翌週には「かなり良くなった!」と言われたのを覚えています。

先生に聞く、先生に教わる、という基本的な関係ができていなかったのかもしれません。

 

また体育が苦手。

短距離や走り幅跳びは、小学校の時にはそこそこの記録で陸上部からも声がかかりましたが、それ以上の向上は見られず、選手となることはありませんでした。

球技はてんでだめで、ボールの軌道を追うことができず、バレーをしてもバスケをしても球をうまく扱えませんでした。

 

このころには、母には、テレビの特集で見た「片づけられない女」と私が似てると言って、近隣の県にある病院で薬を飲むと治るらしい、などと話してくれました。

 

 

…今思うと、子どもの頃より、ADHDの要素満載です。

 

しかし、時間割が決まっていて、親のサポートを受けながら、教科書を読んでいれば、良い成績をとれて、良い子どもで居られた子ども時代はよかったのです。

 

一次志望の大学に受かり、将来への期待を胸に、たまご18歳は実家を旅立ったのでした。