それでも、シンプルで上質な暮らし

アラサー、独身、彼氏なし。しかもADHD。

3月のライオン 前後編


映画『3月のライオン』予告編

 

★★★★★(すごくよかった!観に行ってよかった!レベル)

 

気にはなっていたけど、行けていなかったら、

前編、そろそろ上映する劇場もなくなりそうだったので、

時間的に前後編一気に観れる映画館を探して観てきました。

(合計5時間30分映画館にいた!)

 

前後編通して10回くらい泣いちゃった。

 

原作は読んだことがあるんですが、

どういうわけか、たまに「読んでも内容が頭にうまく入らない漫画」というのがあって、

羽海野チカさんの漫画は自分にとってそれにあたるようでした。

ハチクロもこれもだめだった…

(原作ファンの方、申し訳ありません。これ、完全に私のせいなので)

でも、羽海野さんの漫画、評価高いので、こうして映像にしてくれると大変助かる…

 

一緒に行った、原作ファンの友人曰く、一部納得いかない部分もあるとのことでしたが、

私は大大大満足!でした。

 

映画は考えずに見たい派なので、良い映画の記録は良かったと残したいんだけど、

テーマ云々考えながら見るのはきついので、その映画の「よかったなあと思うところ」を3つに絞って書き記そうと思う。

 

よかったなあと思うところ

・あまり細かく将棋のルールとかには踏み込まないけれども、将棋のルールが気になるように演出されていた。

(将棋のルールがわかるアプリをDLしてしまった)

・配役の素晴らしさ!特に神木隆之介さん、佐々木蔵之介さん、伊藤英明さん、加瀬亮さんあたりは漫画から飛び出してきたよう!

・とにかく泣き所が多かった!友情だったり、家族だったり、正義の話だったり。この辺りは原作に忠実なんじゃないかな?(読めないくせに)と思ってる。

高らかにダイエット宣言!したあとの私。

負けました、ゴールデンウィーク

いや、もともと不安だったので、あきらめというかなんというか。

でもゴールデンウィークがあるからって諦めていたら、今後ゴールデンウィークのたびに太る人になっちゃうじゃないのね。

 

ということで、体重計からも遠のき、久々に量った体重

なんと…

 

65.7kg!

BMI24目前の23.7!

 

女性なら正常に入るとはいえ、内臓脂肪とかすごそうな私には、

美容のためだけでなく、健康面も害しそうな体重になっていました。

 

そこから、慌ててこの一週間。

食事制限とジムに2回行くことに成功し、

無事に63.4kgまで落とす…戻す?ことができました。

 

前回の体重から変わってないじゃないの。

2.3kg減ったけれど、まあ急増した体重は減りやすいともいうもので。

 

あまり急激に体重を落とすのも体に悪いのは重々承知なので、

目標は7月下旬まで!とぼんやり先延ばしました。

 

ここからは誘惑に負けないように、毎日がんばるよ!

ブログもこまめに書けるといいですが!

全か無かの私のダイエット

そんなわけで、私のダイエットの方法とその記録です。

 

私はダイエットすると決めたら徹底的にする(のになぜか成功したことはない)ので、方法は間違っているのかも。

でも運動がそこまで好きではなく、方法が食事制限に偏ってしまうので仕方ないのかな。

 

ダイエット開始

数年前に買ったズボンが全く入らなかった時に、

「ああ、どこかで読んだデブの話だ」

と愕然。

身長は164cm。

体重は4月17日に意を決して体重計に乗ったところ、ピークで65.5kgを迎えていました・・・ 

 

ちなみに、骨格診断ってご存知ですか。

あれ、私ストレート骨格なんですよ。

芸能人でいうと藤原紀香さんや米倉涼子さん。

スレンダーで出るとこ出てて、スタイルがいいと思うじゃないですか。

太ったら悲惨。まるで大木ですからね! 

 

嫁入り前の女で、ぽっちゃりではなくがっちりという太り方はきつい。

 

やはり、ダイエットか。

とゆるーりとダイエットを開始しました。

 

ダイエットの目標

目標体重ですが、インターネットでモテBMIが20.75と見たことがあります。

人生のほとんどが「ガリガリ」だった記憶がないので、モデル体型はあきらめているのです。

細すぎない、太すぎない体形でちょうどいいじゃないですか。

 

ちなみに164cmの私にとって、BMI20.75とは・・・

 

1.64×1.64×20.75で算出=55.8㎏

 

・・・!

 

なにが細すぎないだよ!

その差、約10kg!

昔は平気でこのくらいの体重だったのに、どうしてこうなった!?

30代は恐ろしい・・・

 

期日

さて、あまり無理なダイエットはしたくない。

と、このページをいつも参考にしています。

ダイエットプログラム」(昔からよく見るけどなんのページなんだろ?)

 

素敵な服をボーナスで・・・という目論見から、

6月30日をXデーとしました。

自分の運動強度が中等度であれば、達成可能ではありますが・・・はたして。

 

カロリー計算

私の一日の基礎代謝は大体1400kcalなんだそうで、摂取カロリーがそれよりも下回ると危険。

 

しかし、平日の食事ですが

朝→ドリンクタイプのヨーグルトや豆乳など、大体~120Kcal

昼→社食のようなもの。炭水化物を半分にカットして大体500Kcal 

夕→300Kcal以内と思っている

と、すると、合計で920Kcal

下回ってるー!・・・というのも、週末にお誘いが多くてどうしても飲みにいってしまうのです。

そうなると、目の前にあるつまみを惰性で食べてしまうというこれもADHDの特色か?しかも結構飲む!ということで、かなりのカロリーを摂取しています。

こればかりはやめられず。少し平日に頑張っている、というところです。

一日の収支より、一週間単位で計算する!と思っていますが、合っているのだろうか。

とはいえ、平日もなんだかんだで~1100Kcalくらいはとっています。

 

運動

スポーツジムに登録していますが、登録して安心してしまったところ。

一日一時間でいいから体を動かしたいと思ってはいる。

トレーナーさんに作ってもらった筋トレに有酸素運動40分くらいは定着させたいところです。

年度始めは仕事が忙しくて・・・はいいわけですが、GW明けからは追い込みで通いたいな、と思っている。

 

ということで1週間の経過ですが、

今は63.5kg 体脂肪27.8%です。

まあ、1週間で2kg減ってハイスペースですが、やはり運動が足りないのか脂肪が燃えない、停滞中です。

明日こそは明日こそは、とジムの用意をしていますが、仕事終わりはぐったりでだめですね。頑張ろう!

 

 

目標 55.8kg(あと7.7kg)

期日 6月30日 (あと63日)

 

GWの誘惑・・・(たぶん負ける)

 

 

 

 

 

でも、それは受け入れられない

一時期はまったいわゆる「引き寄せ系」の本たちですが、

その中に「自分を愛する」というものがあって、

「どんな私も許してあげましょう」なんていうものがあります。

 

また、30で通っていたカウンセリングルームでも、

「あなたに必要なのは自信ですよ」

「でも、自信といっても、完璧になることじゃなくて、自分ってこんなもんって思えることですよ」

と言われました。

 

自分ってこんなもんね・・・

と、それから自分を甘やかし続け・・・

結果・・・

 

×汚部屋

×体重が数年を経てプラス9キロ

×不規則な毎日

 

となってしまいました。

なんてこった!

 

食べるのが好きなんだから、食べて甘やかしてあげよう!

とか、

片づけたくないんだからほっとこう!

とか、

眠れないんだから寝ない!

とか、

本当にめちゃくちゃです。

 

自信がないといわれるかもしれない。

自分を愛せていないと思われるかもしれない。

でも、自分を受け入れるってそういうレベルのこと??

 

いや、違う。

こんな自分では愛せません!

 

と、いうのも、

今ならわかるけど、2年前までは自分へのディスり方が半端なかったからです。

この辺りは、間もなく終了しそうな薬との付き合い方の流れで記録を残そうかと思いますが・・・

 

とりあえず、急務なのは自己支援です。

片付けられないんじゃなくて、片付け方を知らないんだ!

つまり、

片付け方を知らない自分は愛しても、片付けられない自分を放っといていいわけじゃない。

そう考えるようにしないといけません。

 

大厄たまご、

まもなく32になります。

母が私を産んだ年・・・笑えない!

 

そんなわけで短期目標としては誕生日までに、次の目標を立てました。

 

1.健康的な生活リズムを作る。

2.すっきり痩せる。

3.(散らかりの中心となる衣類を整理し)片付きやすい部屋を作る。

 

流れのように書きましたが、同時並行できる部分は多くあるので、

素敵な32歳になれるように、少しずつ、自分の生活を見直そうと思うのでありました。

 

about me part2

ADHD

注意欠陥多動性障害

と言われるものですが、

決して多動でない私は、大人になってからの検査だと、不注意優勢型と言われています。

子どものころから口癖は「めんどくさ」でした。

 

さて、最後のD=disorder、つまり「障害」ですが、今は社会との関係において支障をきたしたら障害である、という考え方が一般的ですね。

障害は個人にあるのではなく、社会との関係によって生まれる、という考えの下ですと、私が「ADHDになり始めた」のは、大学生の時であったと思います。

 

まずは履修!なにそれ!?わからん!

そして、だれに聞けばいいの!?状態。

 

そして講義!眠り癖がついていた私(もしくはADHDは日中も眠くなってしまうとか)!

なにも聞けない。そして、ノートが書けない!

 

私生活では楽しい方に流れ、テストの前でも遊んでしまうし、

バイトを始めれば、シフトをメモせず初日に遅れて笑ってごまかそうとする等社会性が超低いし、

 

で、私が関東の北の北で培ってきた自信は粉々に砕け散ったのでした。

 

しかしながら!友人の助けが大いにあり、無事大学は卒業。

就職活動もうまくいくはずもなく、進学して、ようやく社会に出ることができました。

 

さて、大学時代で「ADHD…?」となり始めた私は、社会に出て数年目ではっきりと自分のADHDを受容「させられる」ことになります。

それがちょうど30歳のとき。

(不思議なことに、女性の大人のADHDが発覚するのって30歳前後の方が多いんですよね笑)

 

職場でのプレッシャーにより、ミスを連発。

ミスの対処の上手くなさ。

大学で粉々になった自信は、もはや欠片すら溶けてなくなってしまった状態でした。

 

その時に駆け込んだ近所のカウンセリングルームで発達障害を疑われ、検査を受けました。

 

ADHD?」くらいに思っていた私ですが、カウンセラーさんより「こういう結果の方には服薬を勧めますよー」とさらりと言われて衝撃!

好奇心も半分手伝って、心療内科を受診し、晴れてADHDの診断がつきました。

 

検査結果より、処理速度とワーキングメモリーが低いということが分かりました。

きちんとした理解ではないのですが、そのために、掃除等状況を見て段取りを考えること、大学で聞いたことをノートに書くのが苦手だったのかな?さっき置いておいたはずのものがなくなった!ってことがあるのかな?なーんて思いました。

 

そんなわけで2016年2月よりストラテラを服用し始めて1年と少しが経ちました。

効果のほどは…わかりません。部屋は相変わらずきれいではありません。

 

でも、診断を受けたことで大事なことは、服薬で原因そのものにはたらきかけることではなく、環境を調整するということにあると思います。

 

 

「シンプルで上質な暮らし」ができると思い込んでいた20代。

それはADHDだから無理!と突き付けられた30歳。

でも、本当に無理なのでしょうか。

私は検査によって私自身の特性を知ることができました。

これを活用して自分自身を支援していく、つまりプログラム化していけば、

ADHDのたまごなりの「シンプルで上質な暮らし」ができるんじゃないかなーと考え始めています。

 

そして、大学で砕かれた私の自信。

自己肯定感、自尊心…そう呼ばれるものを回復すること、

自分を大切にしてもっともっと幸せになることが、目標です。

 

しかし、基本的に成果を感じにくい、という特性もあるので、

がんばったこと、楽しかったことをブログに備忘録として残していけたらと思います。

 

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about me part1

はじめまして。たまごです。

 

少し私について紹介させていただきます。

 

たまごは1985年に関東の北の北で生まれました。

それから大学進学まで父母姉に囲まれてすくすくと育ちました。

 

幼い頃のたまごは、片付けが苦手で、母からは「なんとだらしない!」と注意されながら、それを「そんなことないさー」と受け流していました。

脚には青あざが絶えずあり、「どこでぶつけたんだっけなー」と忘れているような子でした。

 

道路のアスファルトを固めているコールタールを座り込んで眺めて、スカートをダメにしてしまったこと。

上着が後ろで一回転ねじれていたこと。

私が持ち帰るプリントはいつも端が合っていなかったこと。

などなどはよく母に言われていたものです。

 

勉強は得意な方でしたが、授業はどちらかというと上の空で聞いており、

中学校の最初の頃にはbe動詞もわからない!と母を呆れさせていました。

初めての内容は聞いていないからできないけれど、自分で短時間で習得する術はもっていました。

 

この性質は高校まで続き、ひどい時には「これは寝る授業」と決め込んで寝ていました。とにかく眠かったのです。

国語はルールを覚えるもの(センター)、社会はひたすら覚えるもの、数学はひらめきを待つもの…勉強の内容はそんなふうに自分の中で決めて、教科書と参考書さえあれば受験で戦える、と信じ切っていました。

一方で、その勉強法は効率のいいものではありませんでした。

志望大の二次試験を前に、英作文を教わりにいった際、英語の先生に、「来るのが遅い!」「文法めちゃくちゃ!」と言われながらも、翌週には「かなり良くなった!」と言われたのを覚えています。

先生に聞く、先生に教わる、という基本的な関係ができていなかったのかもしれません。

 

また体育が苦手。

短距離や走り幅跳びは、小学校の時にはそこそこの記録で陸上部からも声がかかりましたが、それ以上の向上は見られず、選手となることはありませんでした。

球技はてんでだめで、ボールの軌道を追うことができず、バレーをしてもバスケをしても球をうまく扱えませんでした。

 

このころには、母には、テレビの特集で見た「片づけられない女」と私が似てると言って、近隣の県にある病院で薬を飲むと治るらしい、などと話してくれました。

 

 

…今思うと、子どもの頃より、ADHDの要素満載です。

 

しかし、時間割が決まっていて、親のサポートを受けながら、教科書を読んでいれば、良い成績をとれて、良い子どもで居られた子ども時代はよかったのです。

 

一次志望の大学に受かり、将来への期待を胸に、たまご18歳は実家を旅立ったのでした。