about me part2
ADHDは
と言われるものですが、
決して多動でない私は、大人になってからの検査だと、不注意優勢型と言われています。
子どものころから口癖は「めんどくさ」でした。
さて、最後のD=disorder、つまり「障害」ですが、今は社会との関係において支障をきたしたら障害である、という考え方が一般的ですね。
障害は個人にあるのではなく、社会との関係によって生まれる、という考えの下ですと、私が「ADHDになり始めた」のは、大学生の時であったと思います。
まずは履修!なにそれ!?わからん!
そして、だれに聞けばいいの!?状態。
そして講義!眠り癖がついていた私(もしくはADHDは日中も眠くなってしまうとか)!
なにも聞けない。そして、ノートが書けない!
私生活では楽しい方に流れ、テストの前でも遊んでしまうし、
バイトを始めれば、シフトをメモせず初日に遅れて笑ってごまかそうとする等社会性が超低いし、
で、私が関東の北の北で培ってきた自信は粉々に砕け散ったのでした。
しかしながら!友人の助けが大いにあり、無事大学は卒業。
就職活動もうまくいくはずもなく、進学して、ようやく社会に出ることができました。
さて、大学時代で「ADHD…?」となり始めた私は、社会に出て数年目ではっきりと自分のADHDを受容「させられる」ことになります。
それがちょうど30歳のとき。
(不思議なことに、女性の大人のADHDが発覚するのって30歳前後の方が多いんですよね笑)
職場でのプレッシャーにより、ミスを連発。
ミスの対処の上手くなさ。
大学で粉々になった自信は、もはや欠片すら溶けてなくなってしまった状態でした。
その時に駆け込んだ近所のカウンセリングルームで発達障害を疑われ、検査を受けました。
「ADHD?」くらいに思っていた私ですが、カウンセラーさんより「こういう結果の方には服薬を勧めますよー」とさらりと言われて衝撃!
好奇心も半分手伝って、心療内科を受診し、晴れてADHDの診断がつきました。
検査結果より、処理速度とワーキングメモリーが低いということが分かりました。
きちんとした理解ではないのですが、そのために、掃除等状況を見て段取りを考えること、大学で聞いたことをノートに書くのが苦手だったのかな?さっき置いておいたはずのものがなくなった!ってことがあるのかな?なーんて思いました。
そんなわけで2016年2月よりストラテラを服用し始めて1年と少しが経ちました。
効果のほどは…わかりません。部屋は相変わらずきれいではありません。
でも、診断を受けたことで大事なことは、服薬で原因そのものにはたらきかけることではなく、環境を調整するということにあると思います。
「シンプルで上質な暮らし」ができると思い込んでいた20代。
それはADHDだから無理!と突き付けられた30歳。
でも、本当に無理なのでしょうか。
私は検査によって私自身の特性を知ることができました。
これを活用して自分自身を支援していく、つまりプログラム化していけば、
ADHDのたまごなりの「シンプルで上質な暮らし」ができるんじゃないかなーと考え始めています。
そして、大学で砕かれた私の自信。
自己肯定感、自尊心…そう呼ばれるものを回復すること、
自分を大切にしてもっともっと幸せになることが、目標です。
しかし、基本的に成果を感じにくい、という特性もあるので、
がんばったこと、楽しかったことをブログに備忘録として残していけたらと思います。
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